片岡哲太郎(かたおかてつたろう)さん:大家養殖場
片岡哲太郎さん

錦鯉の原産地であるからこそ新潟に古くから伝わる伝統や文化に人一倍の誇りをもち、それらを次の世代に伝承することにこだわる生産者の一人。自ら錦鯉の生産を楽しみつつ、家族で力を合わせて美しい大正三色作りに取り組んでいる


片岡さんとご家族私は、1961年の高校卒業と同時に片清養鯉場を立ち上げ、鯉を専業として仕事を始めました。それから11年後に屋号を大家養殖場に改め、更に山古志村の伝統を次の世代に伝えたいと思い、角突きの牛を飼い始めました。角突きの伝統は「1000年の歴史」と言われる通り、錦鯉よりも古く、国の指定重要無形民族文化財に指定されています。私は、この角突きの牛に錦鯉のルーツを見ることができると考えているのです。大昔から伝承されてきた価値のあるものを次の世代にきちんと伝えていくという私たちの地域の文化こそが、現在に至る錦鯉産業を作り上げる基礎だったのではないかと思うからです。牛自体は、遠く岩手県南部からこの山古志まで、鉄や塩を背中に乗せて運んでおきたのが始まりと言われていますが、その経緯ははっきりとわかりません。和泉屋の先代、間野一郎さんは、当時そうやって塩を運んでいた最後の一人だと聞いています。

親から子へ伝統を引継ぐ私は大正三色を中心に、さまざまな品種を作っています。昔から、「大正三色作りは貧乏する」と言わるほど当たり外れの多い品種です。良くなるだろうと思ってもだめになってしまったり、逆に、だめだと思っていたのにすばらしく良い鯉になったりします。私には大正三色のそういう部分がとてもおもしろいのです。深い黒の墨と艶やかな緋色の模様、その二色を白く美しい体に乗せた鯉ができたときの喜びはひとしおです。
私を含め、新潟県の生産者は皆、昨年の地震でとても大きな被害を受けました。鯉を売りたくても鯉がいない、鯉を作りたくても池がない、本当に地震が残した爪痕は大きすぎるものでした。養鯉場に加え、自分たちの村も復興しなければいけません。以前のような生活に戻れるのか、養鯉業を続けることはできるのか、正直とても多くの不安がありました。

しかし、私に限らず生産者は錦鯉が好きなんです。愛好家の皆さんが一所懸命に美しい鯉を求めるように、私たちも鯉が好きだから何があろうと作り続けたい。私たちが生まれ育ったこの地域は山に囲まれています。山に暮らす人間だからこそ、水の中で泳ぐ美しい錦鯉を愛したのかも知れませんね。

昔この地で錦鯉が生まてから、今日に至るまで日本人に愛されてきた伝統ある錦鯉が、今や世界中の多くの皆さんに愛される存在にまでなりました。私は、そんな原産地新潟の錦鯉を、次の世代に伝えていきたいと強く願っています。今まで鯉を育てる池は全て山の中にありましたが、震災後場所を確保するために一時平野に出たことがありました。するととても仕事がしやすく、温度管理なども非常に楽なものでした。恐らく、これからは多くの生産者が平野に池を移すのではないでしょうか。そうやって、よりよい環境を模索し開発することは、新潟の錦鯉を残していく上でとても大切な決断だと思います。しかし、例え平地に比べて仕事が大変でも、自分の生まれ育ったこの土地や山にこだわり、昔ながらのスタイルで錦鯉を残していくことが、私たち大家養殖場の誇りなのです。

大正三色愛好家の皆さんに伝えたいことは、錦鯉は泳ぐ姿が美しいということが基本だということです。私たちは鯉師として錦鯉を生産していますが、その美しさは自然が作り出すものだと思っています。私たちがやっていることは錦鯉を自然に近い状態に戻してあげる作業なんです。自然が作り出す素材をできるだけありのままに提供することだと言ってもよいでしょう。皆さんには、私たちが提供する素材が花開いていく姿を楽しんでもらいたいと思っています。100パーセント完璧な鯉は存在しません。生産者が長年培ってきた経験や感性をもとに、健康でバランスのとれた鯉、自分が楽しめる鯉、自分が好きな鯉を提供していくわけです。その生産者の感性に皆さんが共感してくださるかどうかが私たち生産者に問われていることだと思っています。

選別された稚魚もう1つ大切な点は、錦鯉は生き物だということです。何万尾と生まれる鯉の中から、これは錦鯉だというレッテルを貼ることのできる鯉が育つ確率は200分の1以下です。大正三色の場合、そこからさらに2歳魚として約10分の1の鯉が、さらにその約1割が3歳魚としてブランド品の価値をもつようになります。私たち生産者は錦鯉を常に「将来こうなるだろう」という余裕をもたせて作っていきます。ですから、皆さんには自分が好きな鯉を選んでいただき、その成長と変化を楽しんでいただきたいと思います。私たちも皆さんも一緒に楽しんで満足できる鯉が素晴らしい鯉なのです。錦鯉としての美や完成度を追求するのも素晴らしいことですが、「この鯉は素直な顔をしていて嫌味がないから好きだ。」というのも素晴らしい選択肢だと思います。

生活の根底を揺るがすような大きな震災に遭い、正直苦労は絶えませんが、その地震をきっかけに今まで錦鯉に興味がなかった人々から目を向けていただけるようになりました。INPCを通じて、世界の愛好家の方々をはじめ、たくさんの人から応援の声をいただき、「以前のようにやっていけるのではないか。新潟の錦鯉を復活させられるのではないか」と感じています。これからも原産地としての伝統、文化、誇りをもち、震災前よりも素晴らしい鯉、今までに見たこともないような美しい鯉を作って皆さんの元へお届けしたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。

大正三色の当歳右の写真は父親の片岡哲太郎さんを師と仰ぎ、一流の鯉師を目指す長男の太郎さんがはじめて自分が選んだ親鯉から今年養殖に成功した大正三色の当歳。(地震発生から、この当歳が育つまでの経緯はNHKのテレビ番組「人間ドキュメント」で2005年10月15日に全国ネットで放映された。)


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(取材日:2005年9月14日)

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