川上 勝之(かわかみかつゆき)さん/川上養鯉場

川上 勝之(かわかみかつゆき)さん

小千谷市浦柄の川上養鯉場は四代続く歴史ある養鯉場であり、過去に五色で全国大会国魚賞を受賞するなど常に高品質の鯉を生産することで有名である。現在は、三代目・川上勝之氏、四代目貴史氏、浩司氏が錦鯉生産に携わり、御三家、写りもの、衣をはじめとした計20品種の生産を行っている。


川上さんと2人の息子さん川上養鯉場は、昭和初期に初代・祖父の治郎助が錦鯉問屋として創設し、当時は錦鯉を岡持ちに入れて一日二日かけて富山や岐阜に運んでいました。 その後1955年頃から父・勝が本格的に錦鯉流通業に力を注ぐなか、1965年高校卒業と同時に本格的に家業の養鯉業に携わり始めました。小千谷駅に近いという地の利を活かし、山古志全域から鯉を仕入れては全国の錦鯉業者の注文に応じて出荷するといういわゆる錦鯉問屋でした。その後、1975年から錦鯉生産を本格的に始め、その頃から現在と同じく多品種を生産していました。

数年前までは、多品種生産だけでなく生産量も増やし、当歳約10万尾、二歳約2万尾程度生産していましたが、2004年新潟中越大震災で親鯉を失い、野池も崩壊するなど大被害を受け生産量を減らしました。しかし、現在は親鯉を補充し、6割程度の野池が復旧するなど何とか以前の半分程度には修復できたのではないかと思っています。

五色老養鯉場での給餌作業現在、生産しているのは、御三家、写りもの、衣をはじめとした20種類です。具体的には、紅白、大正三色、昭和三色、ドイツ昭和、ドイツ張分、ドイツ大和錦、ドイツ黄鯉、孔雀、銀鱗紅白、銀鱗昭和、五色、藍衣、丹頂、浅黄、秋翠、白写り、山吹、茶鯉、九紋竜、紅九紋竜です。多品種を作ると、どうしても力を入れる品種とそうでない品種が出てきてしまいますが、私たちは全品種同じように力を入れるようにしています。特にこの品種だけ良くしようというのではなく、全品種全部の鯉に力を入れてます。私たちは、鯉を一本で売ることはしていないため、できるだけ多くの量を多品種にわたり買ってもらうようにするべく、全てが同じ高い品質を保たなくてはならないと思い、日々真面目に多くの鯉に力を注げる仕事をするように心がけています。過去、五色等で全国大会国魚賞をいただいてますが、優勝鯉を作ろうという思いではなく、無欲に錦鯉を丁寧に育てることを心がけているからこそ受賞できたのだと思っています。

創業以来維持し続けている川上養鯉場のスタンスは、品評会で勝つ鯉よりも普通の錦鯉を丁寧に育てることです。これは祖父が「錦鯉問屋」を営むなかで、仕入れた鯉を大切に取り扱い安全に全国のディーラーに届けたことで信頼を得てきたことが基盤にあるのだと思います。現在は、9割を海外に輸出していることもあり、出来るだけカラフルでキレイな錦鯉を作ることに精を出しています。特に、当歳、2歳の小さい頃からはっきりとした模様をもち、「小さい頃からキレイな鯉」を作るべく力を注いでいます。

選別現在の目標は、今育てている全品種の底上げです。例えば、親鯉の選定、池の面積などを工夫し、今よりも少しでもいい鯉を作るよう努力していきたいと思います。現在は、私だけでなく二人の息子、貴史(27歳)、浩司(25歳)と共に養鯉業に取り組んでいます。息子たちも「祖父、父の今までやってきたことを基盤として、今作っている錦鯉を目当てにきてくれるお客さんの要望に応えるという方針を続けていきたい。そのうえで、余裕があれば品評会で勝つような鯉を作りたい」と私たちの受け継いできた伝統を守りながら、少しでもいい錦鯉を作るべく努力してくれています。

海外の愛好家には、ひとりひとりそれぞれの楽しみ方をしていただきたいです。もちろん、美しい錦鯉を自分の池に入れるため、高いお金を払うのも一つの楽しみ方だと思います。でも、飼育している錦鯉のレベルが高い、低いではなく、自分の池で泳ぐ錦鯉を眺めることが日々の生活の中に溶け込んでいただければ生産者としてとてもうれしいです。


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(取材日:2006年3月16日)

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