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間野泉一(まのせんいち)さん:和泉屋養鯉場
全日本錦鯉振興会理事長 |
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新潟の数ある養鯉場の中でも和泉屋養鯉場は伝統ある老舗の一件であり、間野代表は多くの生産者に慕われる存在である。1982年第14回全日本総合錦鯉品評会で総合優勝、2001年第41回農業祭で総合優勝・農林大臣賞受賞などの輝かしい実績を誇り、昔から伝わる自然な飼育法を実践することで丈夫な鯉を作ることに情熱を注いでいる。
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和泉屋養鯉場は私で三代目になります。初代の間野一郎は利益を度外視しても人を喜ばすことを何よりも優先する人で、彼が村の仲間に一声かければ角突きの牛を20〜30頭集めることができるほど周囲からの信頼を得ていました。昔は養鯉業よりも馬喰(伯楽)*1としての仕事を主体としており、家畜姓*2で成功した後に牛の飼料などを扱う雑貨屋を開いた際に、この辺りは湧き水が出ることから屋号を和泉屋としたそうです。当時は鯉の生産量も少なかったのでよそから立て鯉を仕入れて売る割合の方が高く、ときには鯉が骨董品やキセルなどとの物々交換に使われていたこともあったと聞いています。
私が小学校4年生の頃は食糧難で、鯉の餌はおろか自分たちの食料さえままなりませんでした。私は中学を卒業してすぐに鯉を専業として始めたのですが、当初は胴長*3、ビニール、酸素ボンベ、車などの道具がなにもなく、鯉をより良い状態で育てるためにただひたすら歩いて山の野池に行っては水と鯉を入れた桶を担いで山を降りるなど、毎日大変な苦労をして鯉を育てたものです。それに比べ、今は恵まれすぎているといっても過言ではないくらい便利になりました。
小千谷、山古志は錦鯉の原産地ですが、牛の角突きのふるさとでもあります。この地域で農耕用の牛を使って角突きが始まり、徐々に人々の生活に広く深く浸透していきました。時代の流れと共に農耕用の牛の必要性が薄れその数も少なくなってはいますが、角突きは今もなお継承され続けている大切な伝統文化です。昔は田んぼの灌漑用水池を借りて育てられていた鯉ですが、牛が衰退するにつれ、生活の中心へとその価値を高めていきました。これらのことから、私たちにとって鯉というものは農業や牛飼いの延長線にあり、それらは全て関わりあっていることに気付いたことで、角突きと同様に古くから伝わる鯉に誇りをもつようになりました。ですから私は池の土を作る時には、農家が畑を作る時と同じように、ねかせた牛の糞や有機肥料を使い、人工産卵はせずにハウス池よりもなるべく野池を使うようにしています。こうした昔からのやり方にこだわり鯉を作っていて気付いたことは、過保護にするよりも自然に近い状態で育てた方が丈夫な鯉ができるということです。
私が自然な飼育法にこだわる理由は、この地の伝統に誇りをもっているからというだけではありません。私の作る鯉は品評会に出しても目を引くような派手さはなく、どちらかといえば地味なものですが、それは愛好家の方々により永く錦鯉を楽しんでいただきたいために、何より丈夫であることに重点を置いているからなのです。美しさや大きさももちろん鯉の魅力の一つですが、私はみなさんに是非息の長い愛好家として鯉を大切に飼っていただきたいと願っているのです。
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