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星野 武雄(ほしのたけお)さん/星米養鯉場 |
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星米養鯉場は、米太郎氏、米一氏、武雄氏と三代にわたり錦鯉生産を営む歴史ある養鯉場。現在の当主である武雄氏は、銀松葉生産の第一人者である。近年起きた豪華絢爛なプラチナ、孔雀、山吹黄金ブームの際にも、渋い「銀松葉」の血統を守り、現在は今よりもさらに優れた銀松葉を作るべく鱗にこだわり生産を続けている。
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星米養鯉場は1920年代に祖父・米太郎が創設し、1955年の父・米一の代から本格的に養鯉業を始めました。私が住んでいる山古志では、土地柄を利用した山の傾斜面にある水田を使って、稲作と平行しながら錦鯉生産を営んでいた人が多く、祖父も同じように始めました。平間の田んぼと違い、稲刈りの時期まで水がある田んぼなため、春の田植え時に錦鯉を放し秋の稲刈り前に大きくなった当歳をとるという昔ながらの生産方法でした。「米も採るし、鯉も採る」というやり方は、米が大量に作れない山古志の人たちならではの生活の知恵だったそうです。
私は、小さい頃から錦鯉と関わっていたこともあり、1966年の高校卒業と同時に星米養鯉場で働き始めました。当時は、今とは違う紅白、大正三色、昭和三色を生産していました。その頃は2、3センチ程度の黒子でも一匹20円という相当高い値段で取引され、まさに頭と尾尻があればなんでも売れる状態でしたから、いい鯉を作るというよりとにかく数を作るというやり方でした。現在でも紅白は作っていますが、今は「銀松葉」を中心に生産しています。
銀松葉を最初に生産したのは、1975年です。当時、漠然と新しい品種を作ろうと光ものを探している最中に、たまたま雄、雌両方の親鯉を同時に見つけることができた偶然からうちの銀松葉が始まりました。本当に素晴らしい銀松葉が生まれ、選別するたびに「全部光るけど、どうしよう」と迷うほどでした。夏の夜8時過ぎてもまだ光る、とてもいい銀松葉でどれを捨てていいのかわからず選別には苦労したのを覚えています。ちょうど全ての水田を池に変えたばかりだったのですが、それでも池が足りないくらい、いい鯉がたくさん残りました。
銀松葉の魅力は、青く光る「鱗」です。鱗自体が青く光るんです。銀松葉を、プラチナの白地の上に青がのってると思ってる人がいますが、違います。もともと青地だからこそ、あの独特の光りが生まれます。うちの銀松葉は、ドイツ鯉と掛け合わせているため、普通の銀松葉よりも鱗が大きくなり、鱗一枚一枚の光りがよく見えることが特徴です。その大きな鱗から放たれる青地の光具合が魅力だと思いますね。銀松葉は、紅白や大正三色、昭和三色と違って言葉で表すことは難しいですが、それらに負けず劣らずいい鯉だと思います。
今後の目標は、今よりももっといい銀松葉を生産することです。やはり鱗の大きな銀松葉はよりきれいですから、鱗の大きい銀松葉を作りあげたいです。銀松葉は鱗を大きくすると体型を伸ばすことが難しくなりますが、ドイツではなく和鯉を掛け合わせるなど工夫して是が非でも大きな銀松葉を作りたいと思っています。私自身が品評会が好きでないということもあり、品評会で評価されるような鯉を作ろうと思っているわけではありません。それよりも、まずお客さんに喜んでもらう錦鯉を作ることを第一に心がけています。お客さんに喜んでもらうことが生産者にとっての幸せだと思うからこそ、私は「鱗の大きいキレイな銀松葉」を作りたいのです。
海外の愛好家には、自分の錦鯉に愛着持ってかわいがってもらいたいです。生産者としては、自分の鯉をかわいがってもらえるのはうれしいですよ。池にいる全ての錦鯉を同じようにかわいがっていたアメリカの愛好家を見てつくづくそう思うようになりました。私からするとこんな変なのは捨てた方がいいと思う鯉でも、一所懸命育てている姿には逆に感心させられました。いい鯉、きれいな鯉だけでなく錦鯉そのものをかわいがって、愛着をもって楽しんでもらえたらと思います。
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