広井輝男(ひろいてるお)さん:丸坂養鯉場
広井輝男さん

1980年に全日本錦鯉品評会で種別日本一を獲得して以来、丸坂養鯉場の大正三色(三色:サンケ)は丸坂三色と呼ばれている。現在は、丸坂三色が再び一世を風靡することを目指して親子三代で取り組んでいる。また、新潟でも数少ないみどり鯉の生産者として知られている。

広井輝男さんと家族1950年代の錦鯉ブームに合わせて父親が錦鯉の仕事を始めました。当時この辺りで錦鯉の先駆けだった都屋さん(新潟で最初に卸市場を創設)や和泉屋さんが親戚なので、我が家も自然と錦鯉の仕事に着手したのです。その頃は道路などは舗装されておらず、父親が鯉を届けに行くだけで3日間は家を留守にするような時代でしたので、私も子供のときから錦鯉の仕事を手伝っていました。小学校高学年の時には、既に自分の池を持っているほどでした。先祖は代々多くの田んぼを持っていたようですが、本家に刀や古文書などが保存されていたので、武士の家系だったのだと思います。刀の大部分は戦争のときに取り上げられたようですが、まだ数本は大切に保管されているそうです。

広井輝男さんと角突きの牛そういった古いものを大切にするという思いから、今年になって角突き(注記1)の牛を飼い始めました。
角突きとは山古志村周辺に昔から伝わる伝統的な行事ですが、震災を機に残念ながら今は衰退しつつあります。錦鯉も角突きも昔から残る伝統や文化です、このまま衰退させることなく、また、次の世代のためにも残していく必要があると思います。

丸坂三色
錦鯉の仕事を始めた当初は光りものを多く作っていましたが、16歳の時に和泉屋さんのところにいた甚兵衛三色の親鯉を購入し、三色を作り始めました。2年ほど大正三色同士を掛け合わせていたのですが、どうもうまくいかないので紅白の雄をかけてみたところ、とてもきれいな鯉が生まれ、種別日本一を獲得する大正三色を作ることができました。当時は鯉の所有者のみが公表され、生産者の公表はありませんでした。しかし、美しく、長持ちのする鯉を作り出したことから生産者の間で私の名前が広がり、丸坂三色と言われるようになりました。丸坂三色の特長はやはり白地です。艶のある、透き通るような白さがとても美しい鯉です。ですから今、家族全員一丸となって全日本の総合優勝ができる大正三色を作るために全力でがんばっています。

家族での選別作業長男の輝行も品評会に勝つ大正三色を作りたいと思っているようです。子供の頃はお手伝いということで、言われた通りの選別をしていましたが、今では自分の感性を信じて自分のイメージに沿って選別を行い、田んぼ2面を使って自分が選別した鯉を育てています。輝行は高校を卒業して1年の修業を経て、4月から家で働きだしたので、今年からは親子3代で丸坂三色に取り組んでいます。私たちは海外の愛好家の方々にも錦鯉を楽しんでいただけるように、大正三色以外にも、みどり鯉や光りものも作っています。みどり鯉に関しては4年前から作っており、通常は和鯉とドイツ鯉をかけると鱗がばらばらなドイツが多く出てしまうのですが、うちでは運良く型付のよいものが半々くらい出たので、そのいい鯉を拾って今のみどり鯉を作りました。新潟ではうちと田沢さんのところでしか作っていないと思います。


私は綺麗な錦鯉が泳いでいる姿を見るのが好きです。熱帯魚も綺麗ですが、錦鯉は綺麗なだけではなく、大きくなるところが魅力だと思います。これからも世界の愛好家の方々に楽しんでいただけるよう、よりよい錦鯉をたくさん供給していきます。

INPCについて
生産者情報
ご挨拶
生産者紹介
錦鯉の病気
地域情報
home
錦鯉の里バナー
 
 
 

(取材日:2005年9月14日)

注記1
牛の角突き
写真提供:中條均紀

『牛の角突き』は闘牛のことですが、スペインで行われているような闘牛ではなく、牛と牛とが闘う格闘競技です。現在、日本では沖縄県、鹿児島県徳之島、愛媛県宇和島、島根県隠岐島、岩手県山形村、そして新潟県小千谷市と山古志村で行われていますが、新潟県の『越後闘牛』と呼ばれる角突きは勝敗を決めず、長くても5分程度で両牛の脚に綱をかけて引き分けにしてしまいます。『越後闘牛』についての詳細は右の写真をクリックしてご覧下さい。



伊佐養鯉場 大日養鯉場 五十嵐養鯉場 丸坂養鯉場 山松養鯉場
鈴清養鯉場 国魚館 大家養殖場 細海養鯉場 魚沼錦鯉
丸堂養鯉場 和泉屋養鯉場 宮石養鯉場 大塚養鯉場 越路養鯉場
関口養鯉場 寺泊養鯉場 浦川養鯉場 岩下養鯉場 鯉のかんすけ
坂詰養鯉場 星米養鯉場 川上養鯉場 野上養鯉場