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岩下忠志 (いわしたただし)さん:岩下養鯉場 |
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様々な職業を経て錦鯉生産に携わった岩下氏は、他の養鯉場にはない錦鯉の生産に注力し、銀鱗浅黄、銀鱗白写りなど次々と新しい品種を作出した。現在は、「岩下養鯉場に行けば何でも揃う」をコンセプトに80種類以上の品種を常備するなど、独自の姿勢で錦鯉と向き合っている生産者である。
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私は錦鯉に携わるまで、メリヤス工場、ゴルフ場建設、大工、広告代理店、ミシンの営業など様々な職業につきました。特に錦鯉に興味があったわけではありませんが、1960年代初頭にミシン営業で新潟各地を回っている時にお客さんから「ミシンはいいから、とにかく鯉を持って来い」と言われたことがきっかけで、養鯉業の道に入ることになりました。当時は、高度経済成長期の真っ只中で、多くの土地成金が豪華な御殿を造っており、庭池を彩る錦鯉への需要がちょうど高まっていた時期でした。私が山古志出身だったことも手伝い、ミシン営業の先々で事あるごとに錦鯉を持ってきてくれと頼まれ、しかたなく持って行ったことが始まりです。その後、錦鯉販売が軌道に乗り、1965年に岩下養鯉場として看板を掲げました。最初から誰の教えも受けませんでしたが、錦鯉に限っては教科書通りにはいかないため「誰かから教えられて身につくものではない」と思っています。周りから何か言われて、はいわかりましたと言ってその通りにすれば成功するという商売ではありません。だからこそ、ミシン営業時代に、お客さんに持っていく錦鯉を探すために山古志周辺を歩き回ることで自然と「鯉を見る目」を養えたことが今でも役に立ってると思います。最初から鯉屋をやってると他の養鯉場に行く機会が少ないと思うのですが、私の場合何軒も何軒も養鯉場を見てまわり、多くの錦鯉をこの目で見てきましたから、その点は自信があります。
創設当初は、紅白、大正三色のみを作っていましたが、現在は銀鱗浅黄、銀鱗白写り、銀鱗羽白、五色、落葉しぐれ、銀鱗落葉しぐれ、金輝黒竜、光り模様、変わり模様など多品種に渡って生産しています。その理由は単純で、「愛好家に池まで鯉を見に来てもらうこと」を目標としているからです。山古志の虫亀には多くの養鯉場があり、毎年多くの愛好家がこの地を訪れます。その時に是非愛好家にうちに足を運んでもらいたい、なおかつ愛好家の足を止めることのできる池にしたいという思いで、他の養鯉場にはない品種を作り始めました。私の代表鯉である銀鱗浅黄もそのような思いのなかから生まれました。まだ誰も作ったことのない「こんな浅黄が出来たら面白い」という構想を頭の中で練り続け、3年経った頃にやっと理想の親鯉を見つけたところから始まりました。
私は、やはりお客さんが自分の池に来てくれるのが一番だと思います。だから、お客さんが自分の池を見て気に入った錦鯉がおらず、「はい、どうもありがとうございました」と言ってそそくさと帰ってしまうのは絶対に嫌なのです。お客さんの足を止めるために、お客さんの目を引く“人が持っていない鯉”を作る努力をすることを心がけ、現在岩下養鯉場では80種なんでも揃うようにしています。
今でも錦鯉生産は思い通りにいかず難しいです。しかし、そうでなければ見込んだ鯉が大成する時に感じる満足感や、お客さんからこの鯉を売ってくださいという声を聞く時に感じる喜びは得られないと思います。「難しいことは面白いこと」なのです。だからこそ、私は今も人が持っていない新しい鯉の生産に挑戦はやめません。今回の掛け合わせでも、クマノミから出た雄と秋翠の雌の組み合わせに挑戦したいと思います。皆さんは、その鯉が成長したときの姿をイメージできないと思いますが、私は人がイメージの湧かない鯉を作ることこそ生産者の醍醐味だと思っていますから、期待していてください。
海外の愛好家には、錦鯉をかわいがって欲しいです。私は日本、海外問わずに愛好家には自分の飼っている錦鯉を丁寧に愛情をもって飼っていただきたいと思っています。海外の愛好家と日本の愛好家の違いをしいてあげるならば、海外の愛好家は多種多様な鯉に興味を持っていただけるところだと思います。岩下養鯉場は、常に様々な錦鯉を揃えていますので、足を運んで直接見てみてください。
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