メッセージ被災状況現地レポート | |||||||
当会の樹神衛氏が被災地を訪れて記録した現地の生の声をお届けします。(2004年11月19日に取材) | |||||||
日本錦鯉振興会新潟地区長 伊佐 先 氏 まさに歴史に残る大震災に、我々は遭遇しました。山に入るとひどいというものではない・・・一週間みないと地形が変わるんですから。山古志地区には国土交通省の許可がおりないと入れないのです。一ケ月経った今でも。虫亀地区は今日は10台入りなさい、竹沢地区は5台入りなさいという状況で、完全に立ち入り規制されています。そうした中で活きていた鯉を救うには空路しかないと考え、ヘリコプターの出動をお願いして救出をしました。 助かった鯉は多くはないですが、しかし鯉を助けるという作業を生産者みんなが協力しておこなったことで、みんなの心に勇気が湧きおこりました。山古志村・小千谷市は錦鯉の産地ですが、産地というのは凄いということを、そうした仲間と接して感じました。産地には同じ仕事をする者が大勢いて産地になり得るのですが、こうした大災害のときにその産地の産地たる力が出たのです。誰もがこの未曾有の大震災に遭遇し、一生をかけて育ててきた鯉を全て殺して養鯉池を全て失い、本当に、呆然自失でした。しかし、山の中からヘリコプターで救い出した錦鯉の姿を見た瞬間、誰もが、全て失った悲惨な状況を忘れて、嬉しくなり勇気が湧いてきて、そして何人かが鯉の仕事を始めたのです。それを見た仲間が再出発を始めたのです。 ヘリコプターの鯉救出作戦には、山の養鯉場から積み込む者、小千谷市で受け取るもの、30人から50人くらいの若者たちが参加しましたが、その若者が先頭にたって動き出したのです。 新潟には何百人という生産者がいるのです。彼らに若者の勇気が伝染して新潟は復興に向かってスタートしました。 今、全国の方々が義援金や、ボランティアの方達が支援してくださっています。この方々に応えることは、錦鯉の産地の復興だと思います。この「新潟の錦鯉を助ける会」でご支援くださる全国の皆様に、新潟の錦鯉は必ず再建するとお約束します。 |
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山古志漁協組合長 田中 忠雄 氏 【樹神】組合員皆さんの被災状況は如何でしょうか? 【田中】実は震災から1ケ月が経った今でも自分たちがどれくらい被害を受けたか、全くつかみきれていないというのが実情です。私のいる虫亀地区は長岡市の水道町にある明徳高校の体育館に避難していますが、組合員の皆さん(180名)は長岡市や小千谷市の避難所にバラバラに分かれて避難していますから、部落間の連絡が取れていません。1ケ月経った今でも組合員の皆さんの被害状況は全く分らない状況です。 おそらく、そのほとんどの鯉が・・・90%以上は駄目でしょう。今、幸いにして残った鯉の救出がヘリコプターなどでされていますが。 【樹神】田中さん自身の被害はどうでしたか? 【田中】組合員の被害が心配になるのですが・・・今のところ我が家の状況を知るのが精一杯というところで。私の鯉は全部やられました。池揚げが済んで自宅のコンクリート池にいた鯉は、池が漏水していたため、避難する直前大急ぎで水が僅かに残っていた泥池に移しました。部落全員に避難命令が出て、ヘリコプターで救出されるとき、泥池に移した鯉は生きていました。しかし、ほっておいたら死ぬのは目に見えていました。部落の人々が順番にヘリコプターの乗り込み避難されるとき、このままだと鯉が死ぬ、鯉を助けたい、と息子を物陰に呼んで、「お父さんここに残るから、お前たち先に行っておれ」と言ってはみたものの、部落全員の避難命令で自分一人が残ったらとんでもない迷惑をかけると思い断念しました。本当に切なかったですね。 それらの鯉は、許可がおりて自宅に帰ったときは全部やられていました。 【樹神】まさに壮絶、絶句としか言いようがありませんね。酷な質問ですが、今後の山古志漁協はどうなるでしょう。 【田中】救出された夜、避難所で、残した鯉が心配で眠れず悶々としていましたら、ジームのせがれ、丸重のせがれ、弥源治のせがれ、3人が出ていく。「ああ、酒でも飲みにいくのか、若いから仕方がないな。」と思っていたら、実はあの大崩壊した道路をしかも深夜に5キロ以上歩いて虫亀部落まで帰り、部落中を見て回り、鯉が助かっている池の自家発電器にガソリンを追加して回っていたんです。 これを後で聞いて、本当に涙が出て止まらなかった。ああ、この子達がいる以上、山古志漁協は潰れないと信じました。私は、鯉を全て殺した、鯉だけでなく養鯉池全部なくした、もう廃業せざるを得ない、仲間のみんなも同じだろうと途方にくれていたのです。しかし、3人の若者の行動を知って、この若者達がいてくれる限り山古志村は復活すると心から嬉しくなりました。 【樹神】素晴らしいですね。 【田中】彼らから本当に勇気をもらいました。 【樹神】組合長さんとして山古志の錦鯉を再建する重責を今後どのように考えていらっしゃいますか? 【田中】山古志村に帰って養鯉池を作りたい。これが夢ですが、しかし、これは二次災害の規制がかかって、できないかも知れませんね。今、行政が一斉に被害調査をしています。これがまとまると何らかの対策が示されると思います。 錦鯉産業の方向性を考えるのはそれからでしょうが、今の我々の任務は、錦鯉の火を消さないという意志だけです。幸い、若い者たちにその意志があります。彼らがいる限り新潟の錦鯉は復活するでしょう。 最後に、新潟の錦鯉を助ける会を通じてご支援くださる全国の皆様に心から感謝申し上げます。 |
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