掘るまいか
インタビュー:プロデューサー・武重邦夫氏、監督・橋本信一氏に聞く【インタビュアー:INPC事務局】
錦鯉の故郷、新潟県山古志村は冬場の積雪が4メートルにもなる世界で有数の豪雪地帯である。
トンネル内での再現シーン
ここに昭和8年(1933年)から16年間の歳月をかけて作られた手堀りのトンネル・中山隧道が残っている。当時、冬場は陸の孤島となる山古志村小松倉集落の住民が隣村まで行くには峠越えしかなかった。急病人を背負って半日がかりで峠を越えなければならない村民、病弱な母親のために薬草をとりにいく家族にとってトンネルの完成は夢であった。農業と養蚕に現金収入をたよる資金力の乏しい村民は、そこで大きな決断を下した。「掘るまいか!」
「掘るまいか」は「掘ろうじゃないか」という意味である。一緒に掘ろう!将来の子どもたちのためにやろうじゃないか!という思いで村民たちはツルハシを手にしたのである。岩盤は予想以上に固かった。大雪と戦い、太平洋戦争で若い堀り手を兵隊にとられ、それでも村民たちは諦めなかった。掘削した土の排出・運搬のために鉄のレールを敷き、子供たちがトロッコを押した。

撮影風景
女たちは白飯の弁当を男たちに持たせ、自分たちはかゆや豆飯で耐えながら磨耗したツルハシを峠を越えて鍛冶屋に運んだ。そして昭和24年(1949年)5月1日、午後8時20分。ツルハシの一撃に反対側からの風が吹き抜けた。それから50年間に渡り、近代的な新中山トンネルが開通するまで手掘りの中山隧道は村の生活を支え続けた。
2004年10月23日に発生した新潟県中越地震もこの中山隧道を破壊することはできなかった。数箇所の岩とモルタルの剥落はあったものの中山隧道の通路は確保されていたのである。

映画「掘るまいか・手堀り中山隧道の記録」

16ミリ カラー モノラル 83分
第1回文化庁文化記録映画優秀賞
2003年度第77回キネマ旬報ベストテン文化映画5位
新潟日報文化賞
文部科学省選定 土木学会選定 土木学会賞
社団法人 日本道路建設業協会推薦

16年間という歳月をかけ、人力だけで、しかも一人の死者も出さずに中山隧道を完成させたのは山古志村の人々の不屈の精神力と家族愛そして郷土愛であろう。それらは世界最高品質の錦鯉を生み、震災に耐えながら養鯉業を続ける生産者たちに受け継がれている。

今回、この中山隧道の歴史はドキュメンタリー映画として甦った。
1998年11月から約4年かかって完成した「掘るまいか」の武重プロデューサーと橋本監督に話を伺った。(取材日:2005年8月3日)


INPCは、この「掘るまいか」という映画が世界中の錦鯉愛好家に、錦鯉の故郷である山古志村という地域、そしてそこに生活する人々を理解してもらうために最も相応しいソースだと考えているのですが、まずはお二人がこの映画で伝えたかったことは何でしょうか?
中山隧道
武重氏

確かにこの映画は錦鯉を題材として撮影したものではないですし、実際に錦鯉が登場するシーンはほとんどないわけです。僕らが山古志の人たちから感じ取ったことは、自然が人を磨いてきたということなんです。

棚田にしても棚池にしても周囲を深い山に囲まれた地域だからこそ存在するんでね、僕も信州の人間だから山は見慣れているけど、どっか行くときは結構平らな道があるわけで、それに比べたら山古志は大変な厳しい自然がそこにあって、人々はその自然に磨かれ、また人々が自然を磨いていったというか自然に適応してきたわけだね。自然と人がお互いに磨きあうという環境は、昔は日本のあちらこちらにあったと思うんだ。山古志には、そういう意味で日本人に備わっていた人間力というか生活力、洞察力といったものが残っていたということだろうな。


話を戻して、最初にこの映画を企画した三宅雅子さんから映画化の話をいただいたときは、劇映画をということだったんだね。でも実際に現地を見てみると、これは劇映画じゃ無理だと思った。つまり対象が小さいんだね。これが黒部ダム建設の話なら劇映画にもなるだろうが、長さ1キロに満たないトンネルでしょ。これはやはり人を描く、そのためにドキュメントでなくてはいけないと思ったわけです。あくまで人間の記録映画です。

橋本氏

再現シーンに登場した若者面白いのは、実際に当時ツルハシをもってトンネルを掘った人がまだ残っていた。つまり実体験をもった人たちが残っていたということです。確かに再現シーンでは息子さんやお孫さんに登場してもらったわけですが、やはり最も感銘を受けたのは山古志の老人たちのすごい存在感です。このドキュメンタリー映画の面白さは、実体験をもつ老人たちが当時を語って、それをもとに作っていったというところで、だからこそ人間の物語になったんです。

老人の半数が80歳を越えているのに、今でも畑仕事や雪下ろしをこなし、50年前のことを正確に記憶して、それを若いスタッフが理解できるように丁寧に解説してくれる。アイデアが豊富で好奇心が旺盛で、素晴らしいタレントの持ち主だったですね。私たちが指導したことなんて何もない。逆に私たちが指導されたと言ってもいいんじゃないかな。

武重氏

最初はね、過疎の村というイメージがあったので、排他的なところがあるのじゃないかと思って行ったんですよ。ところが実際には全然そんなことはない。非常にウェルカムなわけですよ。
その一番の理由はね、山古志には時間が継続しているということだと思うんですよ。親から子供へ、またその子供へときちんと受け継がれるべきものが受け継がれている。時間が切れていないんだね。これもまた自然に人が磨かれてきた結果ということができるんじゃないかな。新潟の地域の特色なのかも知れないけども、それはすごいことですよ。

この映画は日本国内で大きな反響を呼び、数々の賞を受賞しているわけですが、
今後の取組みとしてどのようなことをお考えでしょうか?
完成当時の写真橋本氏  

いま英語版のDVDを作っていまして、今年の11月にオーストラリアのシドニーで上映会を行う準備を進めています。さらに、震災後の山古志をきちんと記録に残すための新しいドキュメンタリー映画の製作に取り掛かっています。震災から1年近く経ったけれども、彼らが援助を必要としているのはこれからなんですよ。援助というのは金銭を指すだけではなくて、最も大切なのは彼らに各地からの声を届けてあげることだと思っています。

武重氏

今、特に海外の人たちに伝えたいのはね、「掘るまいか」とトンネルを掘り始めた村人の時間は途切れることなく、まだ続いているんだということ。故郷を愛し、家族の絆や未来への希望をもった日本人が存在していることを世界中に伝えたい。過去の時間を忘れて物質的なものにばかり目を向けている人々に対して、人間には、やり直せる勇気があることを伝えたい。そう思っています。
つまり、真の日本を発見する、真の日本人を発見する試みを続けていきたいということです。
素晴らしいことですね。INPCも錦鯉を通じて日本人の心を伝えていきたいと願っているんです。人間にとって何よりも大切な家族の絆、かけがえのない故郷の大切さを伝えたい。錦鯉の生産者が新しい品種を作りたいが自分が生きている間は無理だ、息子の代でも時間が足りないだろうと考え、孫に対してその新しい品種を作ってくれと遺言状にして託す。文化や伝統というものはこうやって人の思いによって守られていくということを理解して、はじめて新潟の錦鯉の素晴らしさが理解できると考えているんです。
武重氏

その通りですね。その遺言状の話はいいですね。「掘るまいか」と同じですね。自分の子供、孫のために何年かかってもツルハシ一本でトンネルを作るんだという思いと共通してますね。それだけ自分の故郷を愛し、先祖から続いてきた時間をつないでいくことの大切さを知っているということですよ。

錦鯉を通じて日本に、新潟に興味をもっていただける海外の人に一人でも多くこの映画を観ていただきたいと思いますので、是非良いプランを立てていただき、一緒に協力しあえるといいですね。
本日はどうもありがとうございました。